小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

あいどんわなだい

 銀杏BOYZってご存知だろうか。大好きなパンクバンドだ。ちゃんと聴きなおしているのだけれどやっぱり良い。感動とか暑さが何度聴いても伝わってくる。峯田くんはやっぱりすごいんだよ。そうじゃないなら「純情可憐な君と杏仁豆腐食べたい」なんて歌詞を書けない。純度100パーセントの恋があるフレーズ。日本で1番素敵な恋の歌だと思っている。「あいどんわなだい」は名曲だ。iTunesとかでもいいからみんな買ってほしい。露骨におすすめする。

 銀杏BOYZは高校時代1番長い時間聴いていたアーティストで特に思入れが強いということもあるのだろう。聴くと、なんというか雑音ばかりだったあのときの青春、いや性春がある。心がぎゅっとなる。頭が痛くなる。もどかしい思い出が溢れる。聴かなきゃいいのに聴いてしまう。優しくかさぶたに触るような、剥がすような曲たち。高校生だった当時、大好きだったことや大嫌いだったこと、どうでもよかったこと、どうにもならなかったこと、恋をしていたことを全部一緒くたに思い出す。和光市駅から帰る電車で何回「駆け抜けて性春」を聴いただろうか。「援助交際」を、「あいどんわなだい」を。銀杏BOYZの歌詞は思い込みばかり、そして思い込みの先にはその逆の、最悪の結末が待っている。あの娘はいけすかないサッカー部のあいつと十中八九付き合っているだろうし、「ぼく」はあの娘からしたらただのストーカーで、あの娘が淫乱なのはきっと本当なのだ。ダサくても剥き出しの現実、それだけがある。音楽であれ、漫画であれ作品から何々を学んだみたいなほんとかよそれはみたいな意見を言うつもりは全くない。ただいっぱいいっぱいだった日々の記憶と思い出がこびりついているから自分語りになっているだけなのだ。まだまだ銀杏をこれからもずっと聴いていきたい気がする。汚い言葉も綺麗な言葉全部が宝石みたいにキラキラしている銀杏を。でも、これから聴かなくなるようにも思える。大人になって、働くようになっても思春期の傷を見たくなるときがあるんだろうか?かっこ悪くって、全然ダメダメで、もっともっと頑張れただろあのときの自分はって思ってしまわないだろうか。今は全くわからない。おじいちゃんになって、何もわからなくなったときでも銀杏を聴けば、思春期のことを思い出すんじゃないかなという絶対的な自信はある。とっても不思議なことだ。でもそれでいいじゃない。確証がなくとも。剥き出しの性春があったことは死ぬまで変わらないのだから。でもまだまだ死にたくない。あいどんわなだい、愛はどんなんだい。

 

 

 

 

薄青の苺渡して、

ねえ「愛してるってゆってよね」 

 

#jtanka