小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

質問箱というカウンター。

 匿名性を売りとするコンテンツで質問箱なるサービスが流行っている。(いた?) まあ自分のことを他人がどう考えているのかとか、疑問を持っているのだか気になるみたいなのって永遠性のあるテーマで、どの時代の人も少なからず抱えている欲求なのかなと思う。手軽にその欲求を満たすことができるのが質問箱である。

 芸能人や著名人でない大半の「わたし」たちは、切り取った状態のプライベートや考えをTwitterInstagram、ブログ等に投稿する。これに一貫した正解はどこにも無くて、その投稿にどれだけ思いが詰められていたとしても、例えば「いいね」による承認がなければ宙に浮いたままの独り言になってしまうことがある。いいね故に我あり、ではないけれど多少なりともそういう雰囲気を感じる時もある。リプライや引用リツイート、DMにもあるのに、いいねに無いのは明確な承認や疑問だ。これがあることでネット上の独り言は理想とするリアルの、現実での会話に近づいていく、しかしいいねにこれが無いことで、他人からどう見られているのかのような可視化できないプレッシャーを感じながらSNSを利用することになる。それ専用のフィルターを無意識のうちにかけているのだ。インターネットで情報を発信するとき通常、社会的規範と自分がその情報を切り取って載せたいのか否かのような2つのフィルターがかけられると思う。しかし、その上でこの投稿が他人からどう思われるのか、「イタい独り言」と捉えられないだろうかという3つ目のフィルターが重ねられる。こうして本来のオリジナル的要素が濾過されたものに変貌してしまうのでは無いだろうか?元は独り言であった、それで良かったはずの「つぶやき」は誰かからの承認を得るためのラッピングが行われるようになり、自己は増殖していった。この現代のSNSの世界の中で質問箱やその類似のサービスは、誰かの興味や疑問を匿名で募集することができ、それに沿ったことを一緒に投稿すれば、「なにかの答え」として発信され、「いいね」なんてなくても「独り言」にはならない。誰かわからないけれど特定の相手に答えたことになる。そして自己をじっくりと切り取ることができる。誰からどう思われているかという不可視なものが匿名性のある質問に形を変えることで、承認欲求のためのツールになることに発想の転換、カウンター的な側面があって、よく考えられているサービスだなと思った。匿名であれば安心して意見を言えるみたいな国民性があるからかもしれないけれどこの数年で何回か定期的に流行を繰り返している。決して質問箱のネガキャンがしたいわけでもみんな承認欲求あってウケるとかそういう話じゃなくて、結局SNSを利用すること自体に少なからず自己承認欲求や自己顕示欲が現れていると私は考えているし、別にそれはあっていいことだと思っている。現実でそれが満たされる人もネットで満たされる人もどちらも居ていい。満たしたい人たちが集まっていると思えば一種の競技大会みたいなものだ。よっぽど健全である。そういう欲求抜きの0%で私はSNSをやっているぞという人は言ってきてほしい、質問箱じゃなくてリプ欄で。

 急に真面目くさってこういう記事書いたのは、他人からこないだ聞かれたとき、上手に言えなかったからです。まとまったから記事にしました読んでください。関係ないけどプロフ帳って懐かしくない?終わりです。