春雷を今聞けば
結論から端的に言うと、俳句の新人賞に残らなかったのだ。残念だった。コンクールなんて運動会の作文と交通安全標語しか経験がなかったけれど、俳句初心者だったけれど、しっかり準備をして応募した。そして、しっかりと落ちたコンクールだった。
ご指導いただいた先生には本当に感謝しきれない。ペーペーの俺に俳句の基本を教えてくださった。創作について、きちんと教えてもらったのは初めての経験だった。ありがとうございます。
いつか恩返しが出来るような成果というか結果が欲しい。
真面目に俳句という世界に挑戦してみて、自分のまわりには使いきれないほど沢山の言葉があることを再認識した。言葉がこんなにある場所に生まれてよかった。
他人の俳句から学ぶこともあった。力強い句を作るひと、滑稽味をちょっぴり足すひと、一句一句に温度があるひと、人それぞれ色が違う。自分にも色があるから、そっくりそのまま落とし込むことは出来ないけど励みになった。
作品を読んで、意見をくれた人ありがとう。誰かに「北原くんの句、呼吸が出来なくなるときに似てる」と言ってもらったことがあって、ものすごく色んなことを考えた。短歌の方でも、また違う人に「息が出来なくなる瞬間の切り取りだ」と評をいただいたことがあった。
「生きづらさ」と括るのは簡単で嫌だが、このうっすらとした閉塞感と付き合っていく事が、これからの創作のテーマなようにも思う。
初めての挑戦がこのような環境でよかったと思う。
だめだった理由を考えると、まあ沢山あるのだけど、わかりやすくひとつ自己反省点としてあげられるのは、自分的に上手にできた、他人に披露した中で上手くできた二十句を並べるという手法を取ったため、表題でそれらを繋ぎとめておくことが出来ていなかったという点だろうか。テーマの一貫性を第一に考えられていなかった。
句自体の良くなかった点も勿論あるし、こちらに書いてない反省点は山ほどあるのだが、自己を完全に分析し尽くせるスキルはないから割愛する。(そんなスキルがあれば、何かしら引っかかっていてほしいものだが…。)かなり勉強になった落選だった。
来年も絶対に出す。再来年も出す。
初期衝動として、三句ここに残しておく。
春雷や遠くの園に象が鳴く
沈丁や仮病で眠る保健室
正しさをつかみ損ねて蛍かな