小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

焼き鳥を持ち帰り、堕落論を読む日。

アルバイト帰り、馴染みの居酒屋に注文していたテイクアウトを受け取りに行った。

夜の下北沢に人がいなかった。シャッターが下ろしている店が目立った。街にいつもの音が無かった。

久しぶりに食べる焼き鳥は美味しかった。そして、家で店の焼き鳥を食べるというのはなんだか懐かしいような気持ちであった。

私が幼稚園に通っていた頃だったと思う。私がまだひとりっ子だった時代だ。週に何日か近所の空き地、駐車場に焼き鳥の屋台が来ていた。母に連れられてよく焼き鳥を買いに行ったのを憶えている。私が焼き鳥を好むようになったのはこの体験からだろう。注文した串が焼き上がるまで烟る炭と肉、店主の指先を見ていた。春夏秋冬、どの時期にも焼き鳥を買いに行っていたはずだが、空が群青色で、いつも涼しい風が吹いていたということばかり私は思い出す。

私が兄になってから、その屋台に焼き鳥を買いに行かなくなった。ただ行かなくなったのか、焼き鳥屋の屋台が来なくなったのかはわからない。群青色の空、涼しい風の印象だけは私の中の焼き鳥観に多大な影響を与えることになった。私が焼き鳥を食べたいときは、群青色の空と涼しい風を求めているときなのだ。

焼き鳥を食べ、焼酎を飲み、頭がぼんやりとしてきたところで風呂に入った。上がったら喉が渇いた。裸足でキッチンに向かい冷たい水を飲んだ。何かが満ち足りるまで飲んだ。

坂口安吾を読もうと思った。堕落論を読み返さなくてはという使命感に駆られた。

私が堕落論を読み返すとき、書かれていることと全く違う話題について考えてしまう。だから感想なんて書けたものではない。多分明日読んだら明日の、昨日読んでいたら昨日の感想があるだろう。だから、読んだけれど感想は書かない。

 

使ってはならない言葉が多すぎる。しかし、それを使ったものに対して憤りを感じることが果たして正しいことなのか。人間性という言葉の焦点はどこにあるのか。私はわからなくてただ唸っているばかりだ。