小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

友達の運転

 こないだ友達の運転する車に乗せてもらった。待ち合わせの駅に着いたら「今日車だから。」という友達。スマートでかっこいいなぁ。目的地までゆっくり歩くつもりだったのだけど、ファミレスでご飯を食べ、車に乗せて連れて行ってもらった。助手席に座って、目についたものの話をする。自分はただ座っているだけでいいのに、どぎまぎした。緊張するのだ助手席は。機嫌に触るようなことを言って「降りろ」と言われたらどうしよう。友達は手際よく運転していた。「じぶんちに駐車するの苦手なんだよね〜」と言いながらハンドルをぐいぐい回して停車位置を調整していく。難しそう。ぼくのやったことのある運転なんてマリオカートくらいだ。マリオカートに駐車のステージは無い。サーキットもショッピングモールもクッパ城もステージにあるのに、パーキングは無い。あのハンドルを小刻みに切っていくお馴染みの動作にどんな意味があるのか完全には分からない。でも凄いなあ。ぼくの知らない間に、この人は車を運転出来るようになったんだ。こんなに何気なく運転をして、素敵だなぁ。感動した。

 友達の車に乗るという経験がまずそんなに多くないことに気がついた。友達はまぁそこそこいるはずなのだけど、みんなで車乗ってどっか行こうみたいにならない。あってもなんとなく気後れしてしまう。運転していただいている感があって申し訳ないからだ。運転には相当体力を使うだろうなって勝手なイメージがある。交通ルールを守って、乗せている人の命を守る、これは大変なことだ。責任が生じてくる。楽しいこととか嬉しいことを分かち合いたいからみんなで遊ぶんじゃないのか。これじゃあ運転する人ばっかり大変じゃないのか。だから「車乗せてよ〜」って言える人には感心する。人との距離感を掴むのが上手い。人間力が高い。上手に頼みごとができる人って凄いんだよ。多分免許も取ろうと思えばすぐ取れるんじゃないか。ドライブ系の遊びから距離を取りすぎてしまう自分なんかは、車間距離を一定に保つのが下手そうである。「もうちょっと近づいても平気だよ!!」と教官から檄を飛ばされそうなもんだ。

 多分、実際自分も春とかに教習所に通うのかなと思う。道路を走る車の運転手さんはみんな免許を当然ながら持っている。高校生からおじいちゃんおばあちゃん、車運転出来る老若男女。全員凄いなあ。勉強をして、試験に受かってっていうプロセスを全員こなしている。

 ずっと自分は免許を取った人はみんな段々運転が上手くなるものだと思っていた。でもそうではないらしい。最近読んだ穂村弘さんのエッセイに、自分は運転が苦手で、苦手なルートを経由したり、苦手な道を通るのを避けてしまう、女性を最寄りまで送ってあげたいんだけど苦手なルートだと緊張してしまうから自分が確実に駐車できる大きい駅までしか送れない時があるみたいなことを書いていた。そんな人もいるんだ。よかった。ダサいなんて思わない。少し元気になった。

 果たして車の運転、自分にもできるんだろうか。なにかしらのモチベーションになることを見つけて自分のペースで取れたらいいなぁと思う。