小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

上坂すみれの新曲良すぎる

 上品なものを下品に表現するというのは、あまり成功例が見当たらない。なにをやるにしても、受け取り手が嫌悪感を感じた瞬間に価値が半減してしまう可能性が高い。上品なもの自体のファン、それを好む人はコンテンツの入り口から嫌な気持ちを持つだろう。

 逆に下品なものを上品にやるというのは、なんだか効果的に思える。下ネタを言えるハンサムは強い。チュートリアル徳井義実斎藤工は顔がかっこいい。ハンサムとしての器を持っているのに、下ネタを使いこなす。小粋に、自由に、これってz軸で、奥行きなんだよな。雑味は旨味で、余裕になる。余白があることってセクシーさに繋がる。アダルトビデオ情報に詳しいのが武器になるのってあんまり無いことだよ。この意外性ってスポーツ得意なイケメンと張り合えるのだよね。不公平である。

 本題に移ると、MVが最近公開された上坂すみれの新曲「ボン♡キュッ♡ボン♡は彼のモノ」の話だ。タイトルがヤバい。Twitteryoutubeと現代のネットワークソースとして大きな存在感を持つものが、性的コンテンツに対して様々な処置を取っているという中で、かなり攻めたタイトルだ。ちょうどいいブスのすすめが炎上する世の中なんだから、かなり危ういラインだとは思う。ああいう概念や暗黙の了解として、世間に漂っているものに名前をつけたり、言語化できるってすごいことだし、価値があることなのに、それに納得できない人が文句をつけて、全て壊してしまうのが苦手だ。人生なんて、世界なんて不平等なんだから、手持ちが弱いカードだって自覚した時に、それをどう切り札に変えるかって考えることに意義があって、大切なことなのに、それがわからない人が沢山いる。寄ってたかって台無しにしてしまうのだ。

 また話がズレた。曲名だけ聞くとかなり品がなく感じるこの曲。性的な要素を切り売りしているようにも感じられる。けしからんという声も

あるだろう。

MV視聴した人も、してない人もとりあえず見て欲しい。

 

[ボン♡キュッ♡ボン♡は彼のモノ (上坂すみれ)]

https://m.youtube.com/watch?v=mhIeiUbH2gg

 

  曲を聴いてみると印象が変わる。ウィスパーボイスのコーラスが入り、合いの手に、クラップと不快感が出ない程度に詰められている。曲の流れが良いなと思う。しつこく無い。曲調は甘めで、アイドルソングというか、声優アーティスト、声優アイドルソングの枠にズバッと嵌っている。王道といっても良い感じ。でも、変に売れ線だけを狙っている感じでは全くない。品があるなという印象を受ける。

 一方、歌詞は中々けしからんというか、ツッコミどころはある。あなたの頭の中で、私はどんな姿にさせられているのでしょうか?そんなんめちゃくちゃな姿に決まってんだろ!?(逆ギレ)おい!!わからねえか??!?と言いたい感じだ。このままだと、男の劣情をなぞっただけの曲になりそうだし、どこからかバッシングの声も飛んできそうだ。しかし、それを回避する作詞作曲 清竜人がいる。

 

 " あなたは日々の中で私を どれほどちゃんと愛してるのかしら?"

 

(正式歌詞未発表)

 

 ちょっと待て、許しがあるのはズルいだろ。劣情のこもった妄想をしていたとしても、向こうに愛があれば、自分に対する相手の好意があれば許されてしまう。歌詞の中に、合意を盛り込むことでセーフにしてしまう清竜人はマジですごい。

 

"運命が交差して ふたりがいつか結ばれたら 抱きしめてね すべてあげるわ 彼氏になったね "

 

 彼氏になったなら、しゃあねえ。外野はとやかく言えない。そして、あくまで女性側に主導権があるような書き方をするため嫌な感じを残さない。そして、オタクは運命の交差に弱い。すれ違いにも弱い。秒速五センチメートル、天門、ef、新海誠、完全犯罪。QED

 

清竜人のアイドル楽曲たちに共通する女性観みたいなのって似通ってる部分があると思っている。女性をモノとして捉えるところ、そして、女性を男性よりも高位の存在の女神として認めるところの2つがどちらも両立しているのではないかということである。エゴイズムと崇拝のバランスが取れている。このバランス感覚がベースとなってギャップを生み出す。そして、不快感は生まない。これが曲の魅力に繋がっているのではないかと思う。

 そして、自分と相手の関係性を匂わせる、描くというところ。これによって、他者の介入を断つ。清竜人25のファンは、清竜人と夫人との関係性や、やり取りを眺めることで幸福感を味わっていたというのを聞いた。これは、お芝居を見て、面白い、楽しいと思うのと近いのではないかな。ステージの上やデバイスの中の人は、ユーザーとは完全に異なる存在であること、リアルとファンタジー、創作は真の意味で混じり合わないことが分かっているから楽しめるのではないかな。ちょっと上手く言葉にできない。

 

 映像で補完されているなという点も見逃せない。

例えば、

[Mr.PLAY BOY…♡(清竜人25)]

https://m.youtube.com/watch?v=pWY-S_wGlOs

 

カッコいいけど、歌詞をじっくり聴くとムムム?という感じである。ハラスメント的な雰囲気が全体に漂っている。何かの団体が突っかかっていきそう。

しかしMVでは、女性たちのピンチを救うカットを多く使用していて、関係性の進展がすごくわかりやすい。お互いの合意を描くってこういうことか? 

 ボン♡キュッ♡ボン♡に戻ろう。

この曲のMVの冒頭で、ズッコケ三人組みたいな少年たちが、河原で雑誌を見つける。俺らが小学生の頃、道端にめちゃくちゃエロ本落ちてたよね?みんな?最近めっきり落ちてるのを見ない。なんでなんだろう。遊戯王カードも最近落ちてなくない?

 雑誌の表紙には上坂すみれ女史が…。そして、雑誌の彼女に思いを馳せる少年たちの妄想の中へ切り替わる。ギリギリアウトみたいな映像が続く。おっ、おう…みたいな映像。ギリギリ自分のお母さんと一緒に視聴できるレベルというとイメージしやすいだろうか。そして、雑誌を囲んで幸せそうに草原で寝ているズッコケ三人組。いつのまにか寝てしまっていたようだ。夢オチはすげえ。

 ここから、女の子って素敵で、男の子はちょっぴりばかだって感想を持った。ちょっぴりばかで、すけべで、でも素直な男の子。きっとそれは、なにかの理想の形で、そのままで大人になってゆける人はけっして多くない。

  このMVは、男性の理想・幻想を投影した女性の素敵さを描きながらも、一種の理想形としての少年像も描いている。ノスタルジーと潜在意識としてある憧れを刺激する内容というだけでグッと来てしまう。なんだこれは?最高か?

 YouTubeのコメントに「上坂すみれ、路線変わったな。」みたいなのが多かった。果たしてそうだろうか。アーティストデビュー初期の10年代サブカル界のジャンヌダルクみたいな扱いだったのが、サブカル界のファム・ファタールになっただけだけだと思う。やっていることは変わらないと思う。まわりの受け取り方が変わったのだと思う。昔も現在も「サブカル的」なもののわかりやすい広告塔みたいな扱いを受け、すごく目立っている。清竜人と組んで面白い結果を残している声優さんは多い。堀江さんとか田村さんとか。路線変更ではなく、新しい一面としてあるってだけではないだろうか。一昨日聴いたときから、ビビッと来たのでブログに書いてしまった。CD買うと思う。だって最高だもん。ただのお色気曲じゃないでしょ、これは。