小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

【感想】『サロメ』

 昔の作品をたくさん読みたい時期なので。

 運命ってなんなんだろうか、簡単に変えられるものなのだろうか。ルートが分岐していくのを私たちがリアルタイムで感じることは、ほとんどない気がする。自分がどこにいるのかわからないまま、流されていく。心はどこにあるのか、心臓か?脳か?銀の皿に乗せられた首か?

 この作品を読んで面白いなと感じたポイントは、登場人物たちは、それぞれの立場、階級、権力に応じた行動をする。それは個人が個人としての役割を果たすように、ひとつの作品を演じるように。それは大きな運命とかいう流れに逆らわない、逆らうように見えても、それ自体が演出みたいなことがある。この世はすべて舞台だなんて、そんなつもりでシェイクスピアが言ったのかはわからない。多くの人間が、運命の中では無力だ。どうにもならない。筋書き通り、脚本通りの予定調和の人生かもしれない。(この作品は結局戯曲なわけなのだけど)

 しかし、この作品に登場する人物の中でそうでない女性がいて、それが、サロメだ。

 サロメは、サロメだけは運命の流れと違う方向の力を発生させている。抗うわけではない、彼女だけが異物であり、生きた人間だと思う。主人公で、その他大勢とは違う。スクランブル交差点の真ん中でひとりだけ立っているのだ。ひとつの点であり続ける、点は点でも頂点だ。

 しかし、サロメは、永遠にその力を発生させるわけではない。最後には、運命に飲み込まれてしまう。澪標の寿命って考えたことがあるだろうか。航路を示す杭はそこに存在することに意味がある、しかし、それは物体であり、形があるのだからいつか朽ち果ててしまう。サロメは運命という舞台で主役となりうる存在であったかもしれないが、それは一時的なものだった。すべての人間はサロメになりうる、悪女としてではなく、もっと違うもの、ひとつの現れ方としては英雄として、デミアンとして、尾崎豊として、一生のなかで一度だけかもしれない運命に左右されない尊い輝きとして。