『若おかみは小学生!』を観た
朝から雨が降っていて、元気があまりなかった。本を少し読んで、ちょっと勉強をして過ごした。
夕方、Eテレで放送されていた『若おかみは小学生!』の劇場アニメを観た。
この先は、作品を観る予定の人や少しのネタバレであっても嫌な人は読まないでください。
個人的に、すごく日本映画っぽい作品だなと思った。流れで全体を捉えられるような分かりやすい作品になっているんだけど、その一方で、あまり詳しく語らない部分がある。その語らない部分に「人の成長」があるんじゃないの?
腑に落ちる語らなさがあって、それが日本の映画じみてるなぁという感想を持った。
フランスで評判になる理由がなんとなくわかった気がした。
小学校高学年頃、私は青い鳥文庫系のオタクだったので、当然原作も途中まで読んでいた。(15巻くらいまでだった気がする)
原作では、主人公の悲しみ、辛さについてかなり序盤で一区切りついてしまっていたと思う。かなり曖昧な記憶だけれど。
しかし、劇場アニメ版では最後まで、主人公の痛みや悲しみを描き切る方向性になっていて、作品を通しての基本軸となっていた。主人公が様々な出会いの中で成長し、悲しみと向き合っていく過程を描こうとしたとき、ありがちなパターンになってしまいがちなのだけど、この『若おかみは小学生!』は違った。
おっこ(作品の主人公)は、大変過酷な運命を背負っており、深い悲しみを抱えている。それは「大人になれば克服できる」ようなものでは全くない。おっこの周りにいる大人たちは、彼女に優しくすることは出来ても、彼女の心の痛みを完全に癒すことは出来ないことを知っている。だから、彼女が心の痛みを感じた時に「子どものままでいいんだ」と接することしか出来ない。心の痛みを我慢してまで「若おかみ」の仕事を頑張らなくても良いというくらいに、周りの大人たちは、おっこを大切に思っている。
何かを決断する時に、大人にならなくてはいけない瞬間が必ずある。まぁ大人になったからといってその決断が辛くなくなるわけでも、軽くなるわけでもない。だけど、大人にならなくっちゃいけなくてみたいな。多分それって、誰も他人の痛みを背負うことが出来ないからなんだな。
なんとなくこんな風に感じたのだけど、言葉が出てこない。でも観てよかったな。