小麦粉惑星

誰かいつもマーガリン潰してる。

短歌と俳句 その1

 

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は (穂村弘)

 

大学生になってから興味を持つようになったのは現代短歌だった。入り口は最初に載せた穂村弘の一首である。字余りはあれど、少ない文字で切り取られた世界は美しい。そして悲しい。作品に心が吸い寄せられてしまった。短歌という窓があれば、私は何処へでも飛んでいけるような気がした。

 穂村弘という人は歌人でありながら沢山のエッセイ集を出している。バイト代が出ると彼の本を買った。どれを読んでも面白いし、飽きがこない。短歌だけでなくエッセイにおいても、私の心を掴んで離さなかった。

 エッセイの次に、彼の出している短歌の研究書を買った。『ぼくの短歌ノート』『短歌という爆弾』は短歌に興味を持って、そろそろ自分でも作ってみたいなと思っていた私を揺さぶる内容であった。この2冊は研究書、指南書の立場を取りつつもかなりくだけていて、わかりやすく新人を導いてくれる。いや、導きはしてくれない。優しく険しさと難しさを伝えてくれるような本であった。穂村弘俵万智と同じように現代短歌の流行を作った人物である、新しい波を作った第一人者で、エッセイからはユーモア、短歌からは都会的で柔らかさを感じさせる。しかし短歌論に関しては堅実な歌人研究を行なっている。穂村弘の短歌は口語体で詠まれたものが多い。しかし、先の時代の名歌人は文語で短歌を詠む。先人と違う新たなスタイルを極めるためには、それらを学ばなければならないということだろうか。2冊を読んだ後、彼の作品を読み返すと確かに堅実な短歌研究が活かされている、駆動していることがわかった。

 こうして、私は短歌を作りはじめた。やはり難しい。ヴィジョンが浮かんだとしても、それをしっかり掴みきれないまま作ると芯が無くなってしまう。像を捉えきれていないと、ピントをぼかすことも出来ない。枠が曖昧だとひとつの歌にならない。

 

許せない自分に気づく手に受けたリキッドソープのうすみどりみて (穂村弘)

 

 私が目標にしたいのは、この一首が切り取った一瞬である。己の複数の感情が、ただ一点に集約、集中されるときに身体を駆け巡る何か。これがどうしても欲しい。洗面台、風呂場で自分を写したものは眼前の鏡ではない、リキッドソープだ。叙事歌でありながら叙情が宿るこの一首はずっと憧れである。この境地に至ることは難しい。かなり厳しい、もどかしかった。

 短歌をはじめた時期、このブログを更新するようになった。考えたこと、読んだ本、思ったことを書きたいと思ったからだ。31文字の文芸と日常の日記を同時に取り組んだとき、相互作用的に良い効果が生まれないかという狙いもあった。

これは 結果的に良かったのではないかと思う。身の回りのことを考える時間が、前より増えた。物事について考えたり、本を読んだり、何かしらをしていないと無限に眠ってしまうような自堕落な男なので、これらを始めてからだいぶ生活が豊かになった。毎日数十件ほど、すこし多いときだと百件とかアクセスがあるみたいで、少し嬉しい。ただどうでもいいことを書き連ねているだけだが、毎回なんやらかの興味を持って読んでくれている人がいるというのは嬉しい限りだ。大きなものではないが文章を書くお仕事をいただいたり、北原の文章を褒めてくれる人がいたりと良いことが沢山あったし、書こうという意欲も湧いた。

 日常の中で観察する時間が増えたことで、短歌に使いたい風景、言葉、感情をより多く見つけられるようになった。世の中は面白いものが案外あるらしい。大概のことはどこか面白さがある。まだ言葉が追いつかないことはあれど、気づきは豊富にある。ずっと続けていきたいな。

 この春から授業を受け、取り組んでいる俳句についても書きたいし、短歌と比べて気がついたこと、異なることと似ているところについても考えたいと思う。【短歌と俳句 その2】をそのうち書くので読んでほしい。

 

作った短歌十首 - 小麦粉惑星

 

今週の短歌 - 小麦粉惑星

 

 今、見返すと気恥ずかしいようなはじめに作った短歌。でもけっこう好きなんだ。